日露戦争の真っ只中、 発端は民衆に軍が発砲した血の日曜日事件だった。 それによりゼネストが全ロシアに波及し、ソヴィエトが成立。 またそれは軍隊にまで広がり、戦艦ポチョムキン号の反乱が起こる。 そのためようやく日露戦争は終結、ポーツマス条約が締結された。 こうしてニコライ二世が議会の開設を宣言し、憲法の制定を約した。 が、この後首相ストルイピンによる反動政治が行われ、議会解散、革命分子を 弾圧、第一革命は失敗に終わった。
日露戦争の末期、戦争の状況が芳しくなかったロシアの民衆は困窮の難にあった。 だが、ロシアは戦争を止めようとしなかった。 それを救うため、そして民衆の心を知ってもらうため、ガポン神父は二十万の 労働者と共に皇帝のいた冬宮へと向かった。みな、周りが悪く、皇帝は 知らないだけで、きっと分かってくれると信じていたのである。 だがその期待は銃弾によって裏切られた。 この時皇帝ニコライ二世は離宮でお茶を飲んでいたという。 この事件は1905年1月22日の日曜日だったことから血の日曜日と呼ばれ、 ロシアを社会民主主義の方向へ向かわせることとなった。